寂れたラーメン屋の閉店

近所のラーメン屋が閉店した。

ラーメンから定食まである、ふつうの、街のラーメン屋さん。
商店街の外れで、80前後とおぼしきオヤジさんとその奥さんのふたりで営む小さな店だった。
正直すごく美味しいというわけではなかったし、すごく繁盛してるようでもなかった。

ミシュランにラーメン屋が載る時代、そのアンチテーゼなのかはわからんが巷では数年前からふつうのラーメン屋さん、
いわゆる「街中華」が復権していた。
雑誌やネット媒体でもよく取り上げられて、街中華だけのムック本なんかも出ている。

だけどウチの近くのその店は、そんなブームからも取り残されている感すらある、本当になんてことのない店だった。
休日の二日酔いの昼とか、なんとなくだらだらと過ごしてしまった夜とか、
財布とケータイだけ持ってふらっと立ち寄るのにはちょうどいい、
ぼくにはそのくらいの店だった。

ビールや酒を頼むと小皿でメンマが出される。醤油ベースの味付けのほかに花山椒かなんかが利いていた。
新聞を読んだりテレビを観ながら注文した料理が出てくるのをのんびりと待つ。
餃子はたぶん刻みニンニクが結構な割合で入っている、パンチのある味。
肝心のラーメンは、特筆すべきこともない、柔らか麺のふつうの醤油味。
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パラパラでもしっとりでもない、ちょっとぽそっとした、焼き飯といった風情の炒飯。
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夏に冷やし中華を頼んだ時は、盛り付けがなかなか雑で思わず写真を撮ってしまった笑
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いつか隣で大学生が食べてたのを見て後日頼んだ鶏のから揚げは、胸肉をおそらく一枚使ったボリューミィなひと皿だった。

オヤジさんにどれほどのキャリアがあったのかは知らないが、手際よく勢いよくガンガンに中華鍋を振るうような感じではない。
年齢のせいもあるのだろう、少しスローテンポながら淡々と注文をこなしていく。
こなしていくと書いたものの、昼時であってもすごく混み合っているようなことは見たことがなかったから、そんなに煽られることもない。
料理ができてからの奥さんの配膳も若干スロー気味。
至ってマイペースな営業だ笑

夫婦でやっていたり家族経営の店は、夫婦仲が良くないとか営業中にケンカを始めたりするところが結構ある。
まあそれすらも店のBGMというかスパイスみたいなところもあるけれど、客としてはちょっとビビる。
でもこの店はオヤジさんと奥さんの仲がとっても良く、気づくといつも他愛もないおしゃべりをしながら仕事をしていた。
ぼくは「ああ、お互いを思いやってるんだろうなあ」なんて横目で見ながら、
柔らかい麺をすすっていた。

あれは4月のあたまだったか、たしか「自粛要請」よりは少し前だったかと思う。
店のガラス戸に「都合によりしばらくお休みします」と張り紙があった。
親父さん、体調でも崩されたのかな、まあ結構な歳だろうからな……、そんな風に思っていた。
それから二週間ほどしたある日、店に解体業者が入っていた。
えっ、マジか……。
あっという間にがらんどうになっていた。

店を閉めた理由がオヤジさんたちの体調面なのか、経営的なものなのか、それはわからない。
お歳もお歳だろう、もう引退してゆっくりしたいに違いない。外野があれこれ言うことではない。
でも、先の見えないこの新型コロナの蔓延や閉塞感のようなものが
ひとつのきっかけになったのかもしれない、ぼくは勝手にそう思っている。

正直、「あの味がもう食べられないなんて」と言うほどのものではなかった。
炒飯なんてたぶんぼくが本気で作ったときの方が旨い。
(油をガッツリ使ってガーッとやればそれなりのものにはなる)

それでも、なんにもない休日に、ふらっとあの店に行くことはもう叶わない、
そう思うとやはり少し寂しい。
道行くひとが足を止め、「この店閉店しちゃったんだ」と話すところも何度か目にした。
お客の立場は、いつも勝手だ。


昨日駅前のスーパーで、奥さんが買い物しているところを見かけた。
奥さんはぼくの顔を見ても店の客だったことはわからないだろう。
ぼくはそんな優良な常連ではなかったし、そもそもマスクで顔半分が隠れている。

「お店閉められたんですね、オヤジさんはお元気ですか?」
そうたずねる勇気は、ぼくにはなかった。

スーパーを出てからの帰り道、スケルトンになった店の跡を通り過ぎて、ふと思い返した。
「いままでごちそうさまでした、お元気で」
それくらいは声をかけても良かったんじゃないかなと、また少し後悔した。