今日、おもうこと。

僕には同じ歳の従兄弟がいる。
名をTと呼ぶ。
誕生日は2週間違い。同じ盛岡市内で暮らしていたので家族とともに頻繁に行き来して、単に従兄弟と言うよりは兄弟のように友だちのように、仲良く育てられた。

僕らが小学生の頃はファミコンブーム真っ只中、家に遊びに行ったらふたりしてゲームに熱中した。お気に入りはエキサイトバイクツインビー。ただしアイスクライマーは殺し合いだ。

僕にとって伯父さんにあたるTのお父さんが八戸に単身赴任をしていたので、夏休みはみんなで旅行に行ったりした。八戸の海で泳ぎ、疲れたら伯母さんの作ってくれたおかか入りおにぎりと麦茶で休憩。昭和の小学生の正しい夏休みの過ごし方だった。

中学生の頃か高校に入ってからか忘れてしまったが、ふたりで夜行バスを使って東京へ遊びに行ったことがあった。早朝新宿で降りて、なぜか代々木へ行き着き、駅前にあった吉野家で牛丼大盛りを食べた。当時盛岡には店舗がなくて「これがキン肉マンの食べていた吉野家の牛丼か…!」と感激しながらがっついた記憶がある。
田舎者丸出しだがなにせ30年近く前の話だ、勘弁してほしい。


その後僕は東京へ、Tは専門学校を経て県の職員として働き始めた。

あれはTが専門に通っていた頃だったか働き始めてからか定かでないが、彼が東京へ遊びに来たことがある。東京を連れ回ってその夜、久しぶりの乾杯の場所に選んだのはなぜか浅草・駒形どぜう。いせ込みに向かい合わせ、ビールと酒をやりながら鍋をつまんでいると、隣に居合わせたオジサンから「お兄さんたち地元のひとかい?」と声をかけられた。
「すいません、ふたりとも岩手の田舎者なんです照」
でも、東京の下町の店で居合わせたお客さんから、そう言われたことは正直ちょっと嬉しかった。
これも20年以上前の笑い話だ。

岩手と東京とで離れていることもあり子どもの頃のように頻繁に会うことはなかったが、親戚一同が集まる新年の宴会なんかで会うと、しこたま酒を差しつ差されつした。


だけどちょうど10年前の今日、状況は一変した。
2011年3月11日、東日本大震災

Tは県の職員として沿岸地域にある病院で働いていた。
安否がわからない時間は長かったようだが、無事が確認された。
病院の建物にも津波が押し寄せるなか、動けない入院患者さんを背負い、屋上まで避難したそうだ。
通勤用の車が流されたそうだが、幸い命は助かった。
良かった、本当に良かった。命さえあれば。心からそう思った。

その時は。


二十代の頃から痩せてはおらず、まるっとしていたTだったが、恒例の新年会で会うとさらに太っていた。
「命からがら避難して何日もの間食うや食わずやの生活をしたんだ、食べたいもの食べればいいんだ」
伯母さんや我々親戚たちはそう考えていた。

だけど、Tの傷は僕らの考えるより、もっと深かった。

精神的に参ってしまっていた。
身体的にも不調をきたすほど、日常的に大量の飲酒をしていたらしい。
結果、休職して盛岡の実家で静養していた。
とはいえ寝たきりのような生活ではなく、若干の引きこもりっぽさはあったもののなんとかやっていた。
職場から離れ、産まれ育った街に帰ってきて、以前よりはストレスを抱えず暮らしてるようだったし、新年会で会った時には多少は酒も飲めるようだった。

しかしある日、うちの母からLINEがきて、Tが入院したことを知った。
急性膵炎。膵臓癌の恐れはなかったようだが、結構な重症らしい。
当然もうアルコールはダメ、脂っこいものも避けて、健康的な食事を心がけなくてはならない。常識だ。
しばらくして退院、また自宅療養。


T、おれが言えた義理じゃないけど、親に心配かけんなよ……。


そして、いまから2年前、2019年5月のある日、Tが救急病棟へ入ったと報せがきた。職場に退職届を出しに行き、その夜体調が悪くなってみずからタクシーを呼んで入ったそうだ。

T…お前な、これ以上親に心配かけんじゃねーよバカヤロウ……。
そう思った。

次の朝、ふっと眼が覚めた。まだ5時台、二度寝しよ…と思ってウトウトしてたら母からのLINE。

「Tくんが逝きました」

え?え?
嘘だろ?

マジかよ……と思いつつも、心のどこかで納得してしまった自分もいた。



あいつはあっけなく逝ってしまった。



震災では2万人以上の人たちが犠牲になった。
Tの場合は関連死には含まれない。
でも、あの震災がなかったら、あいつも死ぬことはなかったはずだ。
遺された人たちは、誰しもそう思ってるだろう。
あの震災がなければ、と。


幸い僕は生きている。
店を閉めた。コロナで仕事減った。
そんな大変なことがあっても嫌なことがあっても、それでもなんとか生きていられている。

だったらもっと一生懸命生きなきゃな。僕にはまだやりたいことややり残したことがある。
Tの分までとか言うつもりはさらさらないけど、自分に言い訳せずに、もっと今を大切にして生きなきゃな。

上手いこと言えないし言葉にすると陳腐になるけれど、今日、そうおもった。