焼酎モヒートを作ってみる

ステイホームの期間中、家庭菜園やプランターなどで、ミントその他のハーブ類を育てたひとも多いらしい。
一度でもミントを育てたひとにはわかると思うのだけど、ミントの繁殖力ったらマジ半端ない。
夏の始めの長雨にも40℃近い酷暑にも負けぬ、
バイオテロとまで恐れられるるほどの生命力。

そこで、家にミントが有り余ってる人向け、みんな大好きモヒートのお手軽な作り方をご紹介したいと思います。

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本来モヒートは中南米産のホワイトラムで作りますが、今回はみんな大好き宝焼酎で代用します。
芋や麦ではいけません。
宝焼酎やキンミヤをはじめとする甲類焼酎は、ラムと同じくサトウキビを搾ったあとの糖蜜が原料なので、まったく問題なくラムの代わりになります笑
なにより安いし手に入りやすい。

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難しいことはありません。
ミントを枝ごと摘んだら、葉っぱだけをむしります。

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枝の部分は苦味やえぐ味が出るので取り除きましょます。
ただしスーパーで売ってるハウス栽培のようなヤワなやつは、葉そのものの香りが足りないので、ちょっとくらい枝を残しててもいいかも。

おうちで育てたミントは、摘み時期を間違って紫蘇みたいに大きくなったりしますが、むしろこんなのも入れちゃいましょう。

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あまりに葉脈が太く逞しくなっていたら、適当に取っちゃいます。
重要なのは、とにかくミントをケチらないこと。
モヒートはミントの香りを楽しむカクテル、これでもかというほどたくさん入れちゃいます。

砂糖を小さじ2杯くらい。
上白糖でも粉糖でも、ガムシロップでもいいですが、甘みは絶対に入れてください。
モヒートに限らず、多くのカクテルの肝は、酸味と甘みのバランスです。
もちろんどちらかが際立ち過ぎてもダメですが、甘みはしっかりつけたほうがいい。
そこそこお酒を飲む人は甘みを嫌うひとが多いですが、1周くらい回ると甘いのが好きになります。
大福つまみに日本酒を呑む、ってのはかなり極端な例ですが……。

生のライムを1/2個分ほど搾ります。正直これは生じゃなくてもいい、なんならポッカレモン的なやつでもいいです。

本来ミントの葉っぱはペストルと呼ばれるすりこぎに使うような棒で潰します。
すりこぎがあればそれで潰すのですが、ミントとか潰すと緑色が移っちゃうので、葉っぱを入れる前に手でちぎるだけでも充分です。それだけでもしっかり香りが立ちます。

そして重要なのが氷の存在。
もしあなたのおうちにかき氷機があるのなら、それを使ってください。
「かき氷機なんてねえよ」という大多数の人たちに、簡単なクラッシュアイスの作り方をご紹介。
冷凍庫で作ったキューブアイスでもいいしコンビニのロックアイスでも良いのですが、これをもうちょっと細かくしたい。

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氷をジップロックに入れてタオルに包んで、
硬いものの上で、ハンマーでガンガンに叩きます!

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くれぐれもご近所迷惑にはご注意を!
僕は日和って途中でやめました!

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ちょっと粗めのクラッシュアイスができました。

これをグラスに入れて、あとは焼酎を注ぐだけ。

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写真はけっこうたっぷり注いでいますが、あとで混ぜて氷が溶けることを考えて気持ち少なめがよろしいかと。
マドラー、なければさっき砂糖を入れたスプーンなどでよくかき混ぜます。

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砂糖が底の方に沈んでいるのでそれを持ち上げるように。ミントが満遍なく混ざってグラスがしっかり冷えるまでよーく混ぜてください。

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はいこれで出来上がり!

ソーダを加えるレシピもありますが、今日はアルコール25度の宝焼酎なのでそのままで大丈夫!
ミントの鮮烈な香りとライムの酸っぱさ、砂糖の甘みが渾然一体となって、ベースのお酒がラムなのか焼酎なのかもわかりません笑

繰り返しますが、肝はミントをケチらないこと。甘みもしっかりつけること。
その辺の中途半端なバル()とかで出てくる、葉っぱが数枚しか入ってないようなしみったれたモヒートもどきとは、ひと味もふた味も違うものになるはずです。

お試しを!

商売を続けるということ

タイトルからなんとも偉そうなことを書いてしまった。
でも僕にはそんな大層なことを言える筋合いはない。

いまから3年前ほど前、僕は11年と半年続いたバーを閉めた。
もともと修行していたバーの2号店として開店し、その後成り行き的に譲渡され営業を続けていた。
2008年夏頃には好景気という名のビッグウェーブに乗った感があったが、すぐにリーマンショックとかいう不景気の引き潮にさらわれ、そして2011年の東日本大震災が押し寄せた。

自分でこうして書くと、世の景気や時流を言い訳にしているようだが、どう考えても自身の実力と努力の足りなさ。
結局、自転車操業から抜け出すことはできなかった。
それでも変わらず店を訪れてくれるコアなお客さんたちはいらしたので、閉店するという決断はやさしいものではなかったけれど、経営的に、そして自分の経済的に、そうせざるを得なかったのだ。


僕の父は、郷里盛岡で飲食店を経営している。
ピリ辛トマトスープのスパゲティを看板メニューとした店で、地元では「隠れたソウルフード」「わんこそば、冷麺、じゃじゃ麺に続く4大麺」と言って下さるかたもあり、息子の自分が言うのも何だがそれなりに愛されてきた店だと思う。

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その店が、今月で開店40周年を迎えた。

僕の子どもの頃のおぼろげな記憶のひとつに、「父母姉と僕の家族4人が、赤い布地のソファーに座って、開店する店のロゴを選んでいる」というものがある。
それは、家族会議なんてものではない。
おそらくいくつか案があって、なんとなく子どもたちにも見せてああでもないこうでもないって言い合っただけのことだろう。でも、赤いソファーと、緑地に白抜きのロゴという色の対比が鮮明だったのか、なぜか頭のなかに残っている。
それがもう40年も前のことなのだ。

スパゲティと喫茶がメインの店なので、メニューにはあるがアルコールがたくさん出る店ではない。
しかし僕の父は、夜の営業活動と称し平日はほぼ毎晩のように飲みに行っていた。僕が小学生くらいの頃だと寝るのはだいたい10時くらい、その時間に父が帰ってくるのは稀だった。
それに僕の記憶が確かならば開店して数年は月に2回しか店休日がなかったはずだ。
毎日の仕事と夜の営業活動に疲れていたであろう父は、日曜日の午前なんてほとんど寝ていたように思う。
小さな僕がキャッチボールを始めた頃、最初に相手をしてくれたのは母だった。母も会社勤めをしていたし、当然家事や我々きょうだいの育児をしてくれてたから、父と同じように疲れていたはずなのだが
……。

父は、まさに個人商店の創業者の典型という感じで「おれがナンバーワン」という意識の持ち主。
自他共に認めるほど仕事の要領は抜群、どんな混雑時でも手際良くこなす。
硬軟おりまぜた客あしらいでお客さんたちの心を掴んで離さない。
僕も大人になって仕事をするようになってわかった。
僕の20数年の経験のなかで、師匠、親方、兄貴にあたるひとが2,3人いるが、皆それぞれに強い魅力を持ったひとたちだ。

自分自身の腕や才能、ひらめきや努力でのし上がってきたひとたちは、程度の差こそあれ強い自我を持っている。そういう自我や自尊心みたいなものがなければのし上がっていけないってこともあるだろうし、
逆にその過程のなかで形成されていったものでもあるだろう。

何にせよ、長く商売を続けているひとたちには、それだけ努力してきたひとであり、それ故に揺るぎない心をつちかってきたひとであるように思う。


父も年老いて昔よりは丸くなったようには思うけれど、いまでも「おれナンバーワン」の気概は失っていない。
だから、いま実質的に店を切り盛りする店長こと僕の弟と、ガチガチにぶつかり合ったりしているようだ。
「老いては子に従え」とことわざにあるが、裏を返せばそれだけ子に従わない、従順ならざる親がいるってことだろう。まあそりゃそうだよな……。


僕も四十代半ばに差しかかった。
元気にバリバリ仕事ができるのもせいぜいあと30年かそこら。
父は三十そこそこで店を開いて、40年もの歳月を重ねた。
さあ、これからおれはどうする?おれに何ができる?
酔った頭でそんなことを考えながら、また今夜も意識を失いつつある。

“香水”

「香水」って曲が流行っている。

https://youtu.be/9MjAJSoaoSo

近所のスーパーに買い物に出かける度に有線で耳にして、なんか気になった曲。

最近「意識して音楽を聴く」という習慣がめっきり薄れてしまった四十代も半ばに差しかかるオッサンの言うことなので、
しょうもない戯れ言として、お目汚しを失礼させて頂きたい。


音楽について、僕は専門的知識はないし、マニアックに掘り下げるほどの好みもない。
ランニングの時に聴くスマホのプレイリストは、いまだにB’zエアロスミスとレッドツェッペリンだ。
5年ほど前にランニングを始めた頃に、ツェッペリンの“Good times Bad times ”が、その頃の自分のピッチとペースに合うことを発見して、「やっぱツェッペリンだよな!」と汗だくになりながら思ったことが懐かしい。


“香水”の話題に戻る。

自粛期間中にスーパーへ買い物に出かける度に
店の有線でかかるこの曲の、
サビの「ド〜ルチェア〜ンドガッバ〜ナの 香水のせいだよ〜」って部分がやたら耳に残った。

この曲の魅力とかヒットの背景なんかは自分が語れるはずもないので割愛する。

ただ自分のような素人には、ギターの伴奏だけでコーラスもない至ってシンプルな構成が耳に心地よく、
否が応にも歌詞が頭に入ってくる。

歌われているのは、別れた彼女との、未練とは簡単に言えないような、ちょっとモヤっとした距離感。

香水に限らず、シャンプーとかボディクリームとか化粧品とか、香りって記憶を呼び覚ますトリガーになる。
街角ですれ違った女の人の残り香が、昔付き合った誰かの香りと同じで、その人を思い出したり。

赤の他人がトリガーとなる香りを身にまとっていてもふっと記憶が呼び覚まされるのに、
当の本人がその香りをまとって隣にいたらなおさら。

でもオッサン、「そんな経験、あるよねー!」と思いつつも、なぜだか感情移入できなかった。
僕は、ビートルズやGS全盛時代の親のもとに産まれ育って、思春期と青春時代を90年代JPOPとともに過ごした世代だ。
団塊ジュニアとか失われた世代とも呼ばれる……)
音楽の話になった時、他の世代のひとには「安室ちゃんと同い年なんすよw」と言うこともある。

音楽の嗜好はともかく、二十年前の僕なら、この曲を知ったらとりあえずCD買って何度も1曲リピートしたはずだ。
もしかしたら泣いちゃってたかもしれない。

でも僕は、この曲に感情移入するには歳をとり過ぎたみたいだ。
「あー、そういうこともあるよねー」
「うん、あるあるw」
「その子のタバコの銘柄変わってからがホンモノw」

そんなつまらないツッコミばかりが思い浮かぶ。

もちろん、その曲の良さと、自分が感情移入することとは全くの別物なのだけど、
「二十年前の自分とは違う」ってことにちょっとだけ淋しさを憶える。

天にも昇るような幸せや絶頂に恵まれたり、自分ひとりが世界のどん底にいて悲劇の主人公のように思えたり。
出会いと別れを繰り返す。
歳を重ね、そんな「ときめきと戸惑いを」何度も何度も経験して、いまの自分がある。
そうこうしてるうちに、喜びにも悲しみにも、いわゆる感受性ってやつが鈍くなったのかなと思ってしまう。
多くの人に聴かれている曲なのに、それを純粋に楽しめない自分を恥じることはさすがにないけれど、「歳をとったんだな……」と思う。
なんとなく、それがちょっとだけ淋しい。



まあ僕の記憶のトリガーは、ドルチェアンドガッバーナじゃなくランコムの香水ですけどねー。

グレーな海で舟を漕ぐ

東京都、首都圏を含む県をまたぐ移動が正式に解禁になった。

通勤通学はもちろん、いまさらではあるけれど県境をまたぐ移動に
お上からのお許しが出たことは大きいと思う。

長距離移動の是非しかりマスクの着用しかり、
有名無実なお願いや根拠の怪しいエビデンス()によって
「そうすることが世間的に正しい」と世間に認知されていたことが、
本来の形で認識されることを望んでいる。

同じくして、今まで休業を余儀なくされてきた「接待を伴う飲食店」も、
ガイドラインを守ることを前提に公に営業できることになった。
スナックやキャバレー、ナイトクラブ……、
これまで長いこと飲食業界・水商売で飯を食ってきた自分としては、お付き合いのあるオネエサンがたやオニイサンがたも少なからずいるので、他人事でもほっとするところはある。



飲み屋・料理屋においてできること。
椅子を間引いて密を避ける、カウンターや客席に透明なシートを貼って飛沫を防ぐ。
お金の受け渡しは手渡しではなくトレイで。
店側のこまめな消毒はもちろん、お客側にも入店時や都度の手洗い、消毒を促す……。

いや、もちろん予防策は当然だし、
「お互いが感染してるかも」という、半ば性悪説に立った対策も必要。
店側もお客さんも安心してやりとりしたいのは当然だ。
でも、こんな“新型コロナ対策”を
「ハイ!喜んでー!」と笑顔でやれる店員はいないだろうし、お客の立場になってみても正直面倒だ。

これまで良くも悪くも続いてきた飲み屋の日常が、様変わりしている。
小さな店で肩を寄せ合うようにして楽しんだり、
さしつさされつお酌をし合ったり、
親しい仲で直箸で鍋をつつきあったり、
飲みすぎてメーター上がってちょっと大声になっちゃったり……。
このご時世、限りなく黒に近いグレー、もしくはぶっちゃけ黒だとされる。

店の人間は常にマスクして接客しなきゃいけない。
なんならゴム手袋して皿やグラスを直接触れないように。
酔っ払って大声で話してはいけない。飛沫のリスク、どれだけですか?
料理の直箸、酒の注ぎまわり、自分も相手も完璧に清潔ですか? 

衛生的な観念からすれば、今までがおおらかだったのかもしれないけれど、
以前とまったく同じようにはいかないことだけは明らかだ。


当たり前だと思ってきた古い価値観を改めなきゃいけないタイミングではあるけれど、
失っちゃいけないことや守っていきたいこともたくさんある。

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僕が小僧の時から仕込んでもらったアニキがやっている店に顔を出した。
カウンター10席ほどのバーだが、椅子をさらに2つ3つ減らしていた。
とはいえそもそもが小さな店なので、満席になったらけっこうぎゅうぎゅう。

でもそんな野暮なことを言うお客はいない。
いやむしろ“密”なことをネタにして酒の肴にして呑むような、肝の座ってんだかひねくれてんだか、そんなお客さんたちばかりだ。
気にするひとは、たぶんいまこのタイミングでこの店には来ていない。



これから先はまるで霞がかかったようにおぼろげで、みちはいくつにも分かれている。
薄暗いなかを手探りで、あれかこれか迷いながら前に進まなければいけない。
世間の煽動もあるかもしれない。
かと言って、正しく先導してくれるひとは少ない。

酒の吞み手も造り手も、僕らは皆、
手探りのまま舟を漕いでいかなきゃいけないようだ。

本搾りを自作する

キリンの缶チューハイ「本搾り」が好きだ。というか缶チューハイはこれしか飲まない。
本搾りの魅力はなんと言っても余計なものが入っていないこと。原材料はウオッカ、果汁、炭酸のみ。
香料や酸味料、人工甘味料なんかが入っていないので本当に余計な味がしない。
僕はなにもそういう人工的なものを毛嫌いしているわけではなく、料理だったら化学調味料なんかもわりとオッケーなんだが、こと缶チューハイに関して言えば、酒と果汁だけのダイレクトな味わいの本搾りを偏愛している。

この5月19日、ライムが定番缶のラインナップに新たに加わった。
もともとメルシャンが本搾りシリーズを始めたごく初期の頃に、レモン、グレープフルーツと並んでライムもあったらしいのだが、あいにく僕は往時は知らず、その後キリンに統合されてから季節の限定缶として復刻される度に飲んで、こりゃウマい!と限定期間中には相当リピートしていた。
その後ぶどうやりんご、季節の柑橘をミックスしたものなど限定缶はたびたび出るものの、この数年ライムはご無沙汰だった。あの、ドライかつ酸味の効いたライムが良かったのに……。

ライムが定番缶として発売されるのを知ったのは2月も末の頃だった。ステイホームという名の家飲みをしながら待った。
そして待ちに待った19日、スーパーの店頭に並ぶライムを見たときは、まるで別れた彼女に再会したときのような心の高ぶりを覚えた。

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やはりウマい!
本搾りシリーズすべてに言えることなのだけれど、まるでバーテンダーが造ったような味がするのですよ。
いや逆に人工的な余計なものが入っていない分、シンプルにひとが造ったような味がするのかな。
じゃ逆に僕が本搾りを造ったら同じように本搾りの味になるのか?(錯乱)

ということでおうちで本搾りを造ってみよう!

この本搾りライム缶、アルコール度数6%、果汁は13%。
本搾りの酒はウオッカなので、一般的な度数である40度のものを使います。
計算すると (350×0.06)÷0.4=52.5
350ml中、ウオッカ52.5ml。あとはライム果汁45.5mlとソーダが153mlだ。
ただしこれ実は不正確で、酒税法を前提に正しい条件で計算すると、体積や密度、比重なんかが絡んできてちょっと違う数字になるのだけど、あいにく僕は算数とか苦手だし調べるのもなかなか面倒なのですっ飛ばす。

このためにわざわざライムを買ってしまった。
ライム1個を搾るとだいたい30〜40mlくらいになるので、たぶん2個必要。

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全体が鮮やかな緑色で、茶色く変色したり傷んでいるところがなく、触った時に固すぎないものを選びましょう。
あと、表面がボツボツ荒いものよりも、つるっと滑らかなものを。
固すぎるものや表面が荒いものは果皮の部分が分厚く水分量も少なく、果汁の取れる量が少ないので。

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このおしりの部分(枝とくっついていたところ)の周りがぼこっと膨らんでいるものも固くて搾りにくいです、経験上。

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以前店で使っていたこのスクイーザー、押し入れの中から引っ張り出すのも面倒なので、すべて手搾りで。
(今度ちっちゃいスクイーザー買おう……居酒屋で出てくるようなやつ……。)

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1個で約47ml、けっこうとれた。
ほんとはこの作業もメスシリンダーとかがあればいいのだけど、キッチンスツールで代用。1ml≒1gということで。

ウオッカはお好みのものをどうぞ。キリンはギルビーという銘柄のウオッカを製造しているし、赤いラベルでおなじみスミノフの国内取扱もしているのだが、このふた銘柄は個人的にあんまり好みでないので、ポーランドのアブソルベントを使う。
雑味が非常に少ないクリアな味で、なおかつ税込み1,000円を切る価格なので気に入っている。
酒屋さんでの取扱がちょっと少ないのが難点だけど……ちなみに僕は「酒のやまや」で買っています。
炭酸もお好みのもので。いまやプレーンな炭酸水がコンビニでも自販機でも買えちゃうからお手軽だ。実は炭酸水、メーカーによってガス圧はもちろん副材料の有無なんかも違うのだけど、今回は個人的に自分が使い慣れているカナダドライをチョイス。本来は瓶のほうがウマいけど。
氷で薄めないために、材料はそれぞれ冷やしておこう。

さてあとは計量して混ぜていくだけ。
それぞれしっかり計りながら加えていく。

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できた。色味というか濁り具合が少し違う。手で搾ったライム果汁を濾していないから、それがあるかも。
そしていざ試飲……
ウマーい!
てゆうかバーテンダーの端くれがきっちり造った一杯なんで不味くちゃ困るけど、これはまるでさっき開けた本搾りの味そのまんま!?
冷静にかつ公平に、飲み比べをしてみる。
「本家」本搾りは、香りに少し特徴があるかも。ケミカルとまでは言わないけれど、どこかで嗅いだことのあるドラッグストア的な香りがある。
そして「俺の」本搾り。本家に比べると香りは穏やかだけど、口に入れると酸味が強い。酸味は舌の両サイドで感じるとされるけど、味蕾全体でキュッとした酸っぱさを感じて、後味までそれがしっかり残る。
ただこれはあくまでも僕が、「本家」と「俺の」を冷静かつ真面目に比較した上で感じたこと。なんにもわからない状況でふたつを出されてブラインドテイスティングしたらおそらくわからないくらいのレベル。
それくらいの違いだ。

正直、自作する前から結果はある程度想像できていた。ほぼ同じ材料・同じ分量で造る限り、ほぼ同じものが出来上がるはず。結果、細かな違いこそあれ本搾りと遜色ないものを造ることができた。
やれやれ、バーテンダーの面目は保った……。
しかし本搾りよ恐るべし。バーで飲むウオッカリッキーと寸分違わぬ……は大げさだけど、バーテンダーが造るのと変わらない味を、プルタブをプシュッと引くだけで味わえるのです。

ちなみに今回造った「俺の」本搾り、原価計算とかするまでもなく、コスパで言ったら「本家」に惨敗。
だって本搾りって、350mlひと缶130円程度で買えるのに、同じ割合で造る「俺の」本搾り、同率の果汁を搾るために1個150円くらいのライムが必要だから……。

手間も暇もお財布も、すべてひっくるめて勝てませんでした。
さあ、今日も本搾りを買いに行こう。





(ちなみにウチの冷蔵庫の一段を、過去の本搾りの限定缶たちが占拠している。一番古いもので2011年……どうすんだこれ……。)
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おうちでホワイトアスパラガス

久しぶりにホワイトアスパラガスを買った。
渋谷で店をやっていた時は、春になると必ず仕入れてメニューに載せていた。
ホワイトアスパラって山菜みたいなもので、まさに季節の風物詩として長年扱っていた。
店を閉めてからは一度も手を出すことはなかった。
だっておっさんの独り飯なのに家でホワイトアスパラって、なんかやりすぎじゃない?
って思っていたから。

こんな時節柄なんで僕も極力ステイホームしているのだけど、
ちょっと用事があって出かけた渋谷で、昔から通っていた八百屋に足を運んでみた。
店頭には、今年も当たり前の顔してホワイトアスパラたちが並んでいた。
5月も半ばになって産地はすでに北海道まで北上している。
手に取るとけっこうな太さと重量感、そして安い。
お客さんに出すなら即買いレベルのものだけど、なにせおっさんの独り飯
んー、これは悩む……。
店内をぐるっとひやかして、またさっきのホワイトアスパラのもとに。
気付いたらどれが一番美味しそうか品定めしていた。

ホワイトアスパラは、穂先の下辺りからしっかり皮を剥いて、その皮とともに茹でる。
皮から出汁が出るからだそうだ。
そしてできるだけ柔らかく、くったりめに火を通す。

ソースには卵を使ったものが定石だ。
フレンチの王道だと卵黄とバターを乳化させたオランデーズソースが一番だけど、手間もかかるし難易度は高い。
僕の店では自家製をマヨネーズを添えて出していたが、この日はポーチドエッグを作ってみた。
「おっさんの独り飯」とか言いつつ、ここまできたらそれっぽいひと皿にしちゃおう。ホワイトアスパラの優しい味を壊してしまうから黒胡椒はひかず、そのかわりちょっといいオリーブオイルを満遍なくかける。

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ほぼ3年ぶりのホワイトアスパラ、まずは穂先から……美味い!!!
頬張った瞬間ひとりで悶絶してしまった。
おれは3年ものあいだこの美味しさを遠ざけていたのか!

少し火を通し過ぎたポーチドエッグを潰して、ソースがわりに絡めてまたひと口。
あれ?鉄板の組み合わせなのになんかぶつかってるような。
アスパラの甘さ、みずみずしさ、そして奥に潜むかすかな苦み、それこそが魅力なのに、
卵が邪魔してるとまで感じてしまったのだ。
潰したポーチドエッグを皿から取り除いて、追いオリーブオイル。
うん、これで十分だ。むしろこれだけでいい。シンプルにアスパラの旨味を感じられる。
春の陽光のように温かく、なんともたおやかな味だ。

ホワイトアスパラとのマリアージュを考えるなら、その産地に近い白ワインを合わせておけば間違いない。
例えばフランス・ロワールのソーヴィニヨンブランだったり、イタリア・ヴェネトのソアーヴェクラシコ。ドイツの辛口リースリングだっていいだろう。

だけど僕はこの日、ワインへの2〜3000円の出費をケチってしまっていた。
ワインなんか開けた日には、ボトル半分じゃ済まない。もうちょっと飲んじゃおう、またもうちょっとだけ……とか考えながらグラスに注いで、ボトルの底にほんの少ししか残ってないのに気付いてようやく「コレ、明日に取っとこう」となるのがオチ。
なんでもない日の晩酌でそれは贅沢すぎる。
じゃあニューワールドの5〜600円の白ワインでもいいかな?とも思ったのだけど、
あの手の白ワインに独特な熟した蜜のような香りやトロピカル感がホワイトアスパラとは合わないと思い、却下。

考えあぐねた挙げ句、北海道産ホワイトアスパラだから、北海道産の原料を使ったビールでいこうと決めた。
今日のお供はサッポロビール富良野産の「ソラチエース」というホップを使用したというビールだ。

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正直この選択がまた失敗だった。
誤解のないよう書いておくと、僕の考えが浅はかだっただけでこのビール自体はとてもウマい。
プレミアムモルツやとれたてホップの一番搾りにも似た、特徴的なホップの香り高さが利いている。
だけどその香り高さこそがアスパラの香りや甘みとぶつかってしまい、ビールが勝ってしまうのだ。
(同じような理由で、僕は刺し身や寿司をつまむ時にプレミアムモルツは合わせたくない)


ビールはかたわらに置いといて、ストックしてある日本酒にチェンジしてしまった。
僕は、日本酒はどんなつまみにも合うと思っている。
よほど磨きに磨いてフルーツのような華やかな香りのする大吟醸でもない限り、
焼き物、揚げ物、煮物、刺し身、どんなつまみも抱きしめてくれる包容力がある。
まあそこには個人的な嗜好が大いに反映されているのだがw

結果これが正解だった。アスパラの香りや旨味を打ち消すことなく、すっと口の中におさまり、
ほどほどの余韻とともに消えていく。
じゃあ最初から日本酒にすればいいじゃないかって話だけど、飲み始めるとつい飲みすぎちゃうので、
糖質とか明日のこととか考えて毎日は飲まないようにしている、はずだった。

この日の酒は奥多摩澤乃井普通酒。もはや北海道とはなんのつながりもない。
それでも奥多摩の酒は北海道のホワイトアスパラを、しっかりと、そして優しく受け止めてくれる。
杯を重ね、気づけば四合瓶も空に。いつもの如く飲みすぎてしまった。
翌朝の陽の光がえらく目に沁みた。

寂れたラーメン屋の閉店

近所のラーメン屋が閉店した。

ラーメンから定食まである、ふつうの、街のラーメン屋さん。
商店街の外れで、80前後とおぼしきオヤジさんとその奥さんのふたりで営む小さな店だった。
正直すごく美味しいというわけではなかったし、すごく繁盛してるようでもなかった。

ミシュランにラーメン屋が載る時代、そのアンチテーゼなのかはわからんが巷では数年前からふつうのラーメン屋さん、
いわゆる「街中華」が復権していた。
雑誌やネット媒体でもよく取り上げられて、街中華だけのムック本なんかも出ている。

だけどウチの近くのその店は、そんなブームからも取り残されている感すらある、本当になんてことのない店だった。
休日の二日酔いの昼とか、なんとなくだらだらと過ごしてしまった夜とか、
財布とケータイだけ持ってふらっと立ち寄るのにはちょうどいい、
ぼくにはそのくらいの店だった。

ビールや酒を頼むと小皿でメンマが出される。醤油ベースの味付けのほかに花山椒かなんかが利いていた。
新聞を読んだりテレビを観ながら注文した料理が出てくるのをのんびりと待つ。
餃子はたぶん刻みニンニクが結構な割合で入っている、パンチのある味。
肝心のラーメンは、特筆すべきこともない、柔らか麺のふつうの醤油味。
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パラパラでもしっとりでもない、ちょっとぽそっとした、焼き飯といった風情の炒飯。
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夏に冷やし中華を頼んだ時は、盛り付けがなかなか雑で思わず写真を撮ってしまった笑
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いつか隣で大学生が食べてたのを見て後日頼んだ鶏のから揚げは、胸肉をおそらく一枚使ったボリューミィなひと皿だった。

オヤジさんにどれほどのキャリアがあったのかは知らないが、手際よく勢いよくガンガンに中華鍋を振るうような感じではない。
年齢のせいもあるのだろう、少しスローテンポながら淡々と注文をこなしていく。
こなしていくと書いたものの、昼時であってもすごく混み合っているようなことは見たことがなかったから、そんなに煽られることもない。
料理ができてからの奥さんの配膳も若干スロー気味。
至ってマイペースな営業だ笑

夫婦でやっていたり家族経営の店は、夫婦仲が良くないとか営業中にケンカを始めたりするところが結構ある。
まあそれすらも店のBGMというかスパイスみたいなところもあるけれど、客としてはちょっとビビる。
でもこの店はオヤジさんと奥さんの仲がとっても良く、気づくといつも他愛もないおしゃべりをしながら仕事をしていた。
ぼくは「ああ、お互いを思いやってるんだろうなあ」なんて横目で見ながら、
柔らかい麺をすすっていた。

あれは4月のあたまだったか、たしか「自粛要請」よりは少し前だったかと思う。
店のガラス戸に「都合によりしばらくお休みします」と張り紙があった。
親父さん、体調でも崩されたのかな、まあ結構な歳だろうからな……、そんな風に思っていた。
それから二週間ほどしたある日、店に解体業者が入っていた。
えっ、マジか……。
あっという間にがらんどうになっていた。

店を閉めた理由がオヤジさんたちの体調面なのか、経営的なものなのか、それはわからない。
お歳もお歳だろう、もう引退してゆっくりしたいに違いない。外野があれこれ言うことではない。
でも、先の見えないこの新型コロナの蔓延や閉塞感のようなものが
ひとつのきっかけになったのかもしれない、ぼくは勝手にそう思っている。

正直、「あの味がもう食べられないなんて」と言うほどのものではなかった。
炒飯なんてたぶんぼくが本気で作ったときの方が旨い。
(油をガッツリ使ってガーッとやればそれなりのものにはなる)

それでも、なんにもない休日に、ふらっとあの店に行くことはもう叶わない、
そう思うとやはり少し寂しい。
道行くひとが足を止め、「この店閉店しちゃったんだ」と話すところも何度か目にした。
お客の立場は、いつも勝手だ。


昨日駅前のスーパーで、奥さんが買い物しているところを見かけた。
奥さんはぼくの顔を見ても店の客だったことはわからないだろう。
ぼくはそんな優良な常連ではなかったし、そもそもマスクで顔半分が隠れている。

「お店閉められたんですね、オヤジさんはお元気ですか?」
そうたずねる勇気は、ぼくにはなかった。

スーパーを出てからの帰り道、スケルトンになった店の跡を通り過ぎて、ふと思い返した。
「いままでごちそうさまでした、お元気で」
それくらいは声をかけても良かったんじゃないかなと、また少し後悔した。